ケニアの生活

タラ・レバ

今年ももう後半の7月に入ってしまった。陰暦では文月という。“陰暦”とか“文月”とか又々そういった言葉の言い方・読み方を調べたくなる虫がムズムズしてきたが、面倒臭くっても中途半端がキライな性格なので一度辞書を開き始めると仕事も手につかなくなるのでその内時間がタップリある時に調べようと後回しにする。ただ文月と聞くとどういう訳か紫式部や清少納言の名前が思い出され、優雅で艶っぽい雰囲気に恋焦がれる気持ちになる。そこで久しぶりに独り言を書くことにした。

色々と仕事の関係や個人的な故障があって4月以来中休みをしてしまったが友人・知人や思いがけない人から「最近独り言を書いてないようだけど…?」と心配してくれるメッセージが届き、

ビックリするやら嬉しいやら恥かしいやら複雑な気持ちになり「エッ、怠けてらんないナ~」と

自分に鞭打つことにした(中途半端もいいとこだ)。

 

ゴルフをしない方には大変恐縮だが、プレーする人なら誰でも知っているタラ・レバという言葉がある。「あの時これをこうしていタラ…」「これをこうやっていレバ…」という、打ったボールがチョロしたり藪に飛びこんだりした時の自分に対する叱咤、憐憫、後悔の込もった反省の呟きだ。ひどい時には自己嫌悪に陥り「全く俺はダメな奴だ!」と自虐的になったりする。

好きになってしまった女性に思いきって愛を告白し、相手に迷惑そうな目付きをされて「困ります!」といわれ、これ以上しつっこくしたら迷惑を掛けてしまうナ、益々嫌われてしまうナ、ヤッパリ俺はダメなんだ…というのとはチョット違って己の未熟さが情けなく、怒りのやり場を求めてクラブやキャディーにヤツ当りしたりする。

ボールを打つ前の頭の中は腕をこうして、手首をこうやり、肘はこうやって、肩をこうすれば、トップはこうなって、膝はこうなり、目はこのままで、フォロースルーがこうなる…などなど色々なことを順序建てて考え、その通りにやろうという気持はあるが、せいぜい2秒間のスイングの中で全ての動作を順序立ててできる訳はなく、イザクラブを振り上げた途端そんなことは全部どっかへ行ってしまい人より遠くへ飛ばしたい欲ばかりで手でこねてしまい、ボールの行方が心配でボールを打つより先に目が上がりヘッドアップの常習犯となってしまう。

「なんで俺はこうなんだ、どうしてこういう簡単なことができないんだ!」と自分を卑下することの繰り返しである。そんな時はもうゴルフなんかしたくない!辞めた!」と何度思ったことか…

それがワンラウンド中に一回でもイイ当りをするとその快感が堪らなく、それがもし2回、3回とあるともう辞めようと思ったことなんかケロッと忘れてしまう。

 

アフリカではゴルフでなくても普段の生活の中で何故?どうして?という疑問の呟きが日に数回は出て来る。「何故こんなことができないんだ…?」「どうしてこんなことをするんだ…?」という不可解な思いである。しかし考えてみれば日本は紀元前3世紀頃から米を作り始め、人々は集落を作って共同生活をするようになり、特に弥生時代の後期に卑弥呼が出て来てからは他人に迷惑を掛けてはいけない風潮が浸透して行った。そして墳丘墓が作られ又外敵から見を守る為に2重、3重の柵を建てたり10m以上の高さの物見やぐらを作ったりした。これなどはしっかりした計測をしなければ作れなかったものである。このような人との触れ合いや物事を“キチン”とするとか“けじめ”とかいう生業(なりわい)が日本人の血の中に流れてきていると思う。

現代になって幼稚園の時から絵を描くことや字の読み書きを習い、家の周りを見ても道はキレイに舗装され、その道に沿って家々もキチンと建てられ、洗濯機、テレビ、冷蔵庫、車は当たり前になっている。

紀元前3000年頃にエジプトでピラミッドが建てられたがケニアではつい最近まで生活の営みを雨、風、太陽など自然の恵みに頼り、時折狩りをし、何の心配もなく暮していたのである。

それがペルシャ、ポルトガルなどの後に英国を始めとするヨーロッパ諸国が侵入し彼らの言う文明の利器を押しつけ始めた。それが結果的に良かったのかどうかそれぞれの判断にお任せするが1963年に英国から独立後も生活の主流が農産業ということは変わらず、都会以外では牛1頭と数羽の鶏を飼い、わずかなトウモロコシを畑に植えてという貧農が多いことに変りはない。家畜の世話、畑の耕作、子供のお守など働く姿は女性が多く、道端で寝転んでいるのが男だった。

僕がナイロビに来たのは1976年だがナイロビ市内でも裸足で歩く人が多く、ナイロビ市内のメインストリートに信号機がやっと1台あるだけだった。それも常に黄色の点滅だけだった。

このように生きて、育ってきた歴史が全く違うのだから自分が暮してきた環境での常識で話しをしても通じる訳はなくよく日本からのビジネスマンがつい「なんでこいつらはこんなにバカなんだ!」と呟くのを聞いたことがある。しかしそうではなく大事なのは自分の固い脳味噌を柔らかくし相手の歴史から半強制された状況を把握し相手が理解できる話し方をすることである。それをしなければ研究不足・勉強不足・努力不足・認識不足ということになりアフリカでは生き残れない。相手を責める前にまず自分の怠惰を恥ずべきである。自分が生まれ育った国とは全く違う環境の中で生活しなければならないならその国のことを知らなければならないのは当然のことである。

 

話しは冒頭に戻って、私は毎日朝07:00にはオフィスに出てセキュリティーを解除し、メイン

コンピューターのスイッチを入れ、コーヒーを入れ、メールのチェックをする。

7,8月のナイロビは1年で最も寒い季節にはいっており指先に息を吹きかけながらキーボードに向かうことになる。今日は7月7日、夜空一杯の宇宙の七夕を楽しもう・・・

労働許可証

どこの国の人であってもどんな職業の人であっても自分の国以外の国に住む場合又は仕事をする場合又は余生を過ごす人もいるだろうけれども、原則として労働許可又は滞在許可を申請し取得なければならない。10年一昔と言うが今から二昔以上前のケニアには1000人以上の日本人が住んでいた。近頃は約半分になってしまっている。理由は色々あるだろうが商社、ゼネコン、製造業など一時期はそれぞれ5~6名の駐在員がいて華やかだったが今はワンマンオフィスが多くなってしまっている。日本国内の不景気もあるだろうけれどケニアの需要と供給のアンバランスさとそれを上回る政治・経済界の複雑さ、諸外国からの物と習慣の激入流にまともな日本の常識がついていけなかったことにも一つの原因があると思うのだが…。最近では得に中国からの人・物の流入が激しく、指を咥えて傍観している間に2万人以上に増えてしまっているとのこと…。よくもそんな簡単に滞在許可が下りるもんだと何かの裏があるんだろうが不思議さを通り越して中国の官民一体の政策に感心すると共にある面で羨ましさも感じてもいる。

中国国内では人口の増加が問題になっていてドンドン世界に送り出そうとしているそうな…。

イヤもう大分前からそのつもりで策を考えてきていると思う。何しろ中国というのは歴史を得意とする国で何かの計画を立てるにも日本人は10年20年と先をみているが中国は100年200年いやもしかしたら1000年先を読んで手を打っているのかもしれない。

何しろ彼らの考えでは沖縄どころか日本全体は元々中国の属国で東南アジア全域も元々中国の領土と考えていて(イヤ、信じている)近い将来全てを中国の管理下におこう(イヤ、取り戻す)と考えている(イヤ、するつもりでもう既に計画の序章に入っている)から話にならないというか日本人が信じている話の基礎となる筋道というものが全てすれ違いになるのは当然のこととなる。

 

さて、ケニアに住む日本人の殆どは首都ナイロビに集中しており地方の都市で個人の裁量で裁縫や染物などを教えている人もいるが、それよりも電気も水道もない過疎地に現地の人と一緒に住み子供達に算数・数学など教えたり灌漑・農業・工業関係で日夜努力し頑張っている協力隊の人々には本当にご苦労様と言いたい。僕なんかにはとても真似はできない。  

ケニア在住邦人の中には日本人としての誇りを持ちながらケニア国籍を取得した人も数人いるしケニア人と結婚し居住権を得ている人もおり又私のように労働許可を取得して住んでいる人もいる。ケニア人と結婚し配偶者として居住する人も労働許可を申請する人も特別な場合を除き共に2年毎に更新しなければならない。この更新の手続きというのが又面倒で申請書類からパスポート、写真その他諸々の書類を一番初めに提出したと同じものを揃え全く前回と同じ手順を踏んで申請しなければならない。

我々のような旅行会社やホテル、レストランなどのサービス業はイミグレーションに行く前に観光省に行きイミグレーションへの推薦状をもらわなければならない。イミグレーションの煩雑さを少しでも緩和する意味もあるとのことだがまずここでも2年前と同じことを書いた書類を持参し又現在保有している車の台数や保険、社員の数や外国人スタッフの数なども届けなければならない。実際ここが第一関門でまず初めに大した理由もないのに延長はダメだ!と来る。

「ジャ~僕は日本へ帰るけどローカルの社員やその家族・親戚を数えたら200人以上の人が明日から食うウガリを買えなくなるがそれでもいいのか?」と脅すと

「誰かが後を継いでやるから大丈夫だ」と言う。

「冗談じゃないヨ、オレをケニアから追い出すんだから会社は全部クローズするに決まってるじゃないか!自慢じゃないがオレの会社は日本から年間3,000人以上の観光客を連れてきているし(勿論ハッタリだが)その会社を潰してあんたと同じケニアの人々から職を取り上げることになるんだぜ…!オレはそのことを新聞にも書いてもらうしラジオでも言ってもらう、勿論あんたの名前もださせてもらう!」

「ノーノーノー!そうは言っていない、代表者を今いるケニアの社員にさせればイイ…」

「あんたはそう言うが俺の会社は日本とのやり取りがメインだし、日本語の読み書きが出来なきゃメールでの通信も出来ないんだ…!」

「日本語の出来るスタッフがいるじゃないか、そいつにやらせればイイ…」

片言の日本語ができるからと言って日本人特有の相手の感情を慮る心情を理解できる訳はないがそれを説明するのも面倒だし又アホらしいので省略する。

「ヨシ!判った!それじゃ一緒に俺の会社に行ってスタッフ全員にオレを追い出して新しい代表者を誰にするか決を取ってもらおうじゃないか!確かに日本語を話すケニア人はいるが読んだり書いたりがどれだけできるか見せてやろう…!」

「イヤ、私はアシスタントパ-マネントセクレタリーの代理の仕事をしているんであって調査とかは自分の仕事じゃない」

「ジャ~調べもしないでオレを追い出すのか!」

「エンドウ、そうじゃないドウドウには日本人の数が多過ぎるし長く滞在している日本人もいる、例えば4年の間にケニア人に仕事のやりかたを教えれば出来るはずだ」

ここでも又日本語には漢字、平仮名、片仮名の3種類があってそれの読み書きを覚えるのに当の日本人でさえ20年勉強したからと言って満足にできる人は少ないんだと言いたいが言っても無駄なので余慶なエネルギーは使わないようにする。

「OK、判った、それじゃ今日はこれで帰るが今度一緒に食事でもしながら話しをしよう…ところであんたは日本食を食べたことはあるか?」

「イヤ~、チャイニーズレストランに行ったことはあるがジャパンはまだないナ~」

「ヨシ、それじゃ今度あんたと奥さんに日本食をご馳走しよう…」

「オーザッツナイス、ユーコールミーエニタイム!」

…でこうして一つの関門は突破するが次がイミグレーションだ…

移民局には1人1人のファイルが厳重(?)に保管されてあり、前に提出した書類がそのままあるので何度も更新している人など申請の手続きはもっと簡略化してもいいと思うのだが中々そうはいかない。その上それなりの書類を用意しそれで更新の申請が全てスムーズに行くかというと飛んでもないことで観光省同様もうこれ以上の滞在は認められない、と申請書類を突っ返される。その理由は色々あるが再びここでも代表的なものは“もう今までアンタがやってきたことはケニア人にも出来るからこれ以上の滞在は不要だ”というもの。そこでその都度我々がケニアに滞在し今までケニアの為、ケニア国民の為に何をしどれだけのことをしてきたか、又今後もケニアの為にコレコレのことをし又ケニア国民の為にコレコレするつもりであることを縷々延べ、その他にももっともらしい理由を文書に明記し再度提出する。

その翌日ワザとらしく電話をして

「昨日提出した書類に説明不足の部分があったので直接会ってお詫びと説明をしたい」というと

「それじゃ~明日10:00にオフィスまで来い」

「10:00は早いので11:00頃は如何か?」

「12:00には約束があるからその前に必ず来い」

「もし遅れると申し訳ないので12:30に昼食はどうか?」

「OKそれならいいだろう」

…とここまでくればもう大丈夫…半分は申請が通ったのと同じことだ…

このような申請は通常1ヶ月前から始めるがまともに申請すると6ヶ月以上パスポートを取り上げたまま返してくれないケースもあり、私のような仕事をやっていると突然ケニア以外の国へ飛んで行かなければならないこともあるのでそんな悠長に待つ訳には行かずあの手この手を考えてやっていかなければならない。郷に入れば郷に従えという諺通りにできればいいがこういったことにそんなに太くもない神経を使い、時間を無駄にし、使わなくてもいいお金を使い、上がらなくてもいい血が頭に上がってくるのを無理やり押えつけていかなければならない。

それを友人に言うと「そんなにイヤならケニアに住まなければいいじゃないか…」と言われる…

ところがナイロビは住んでしまうと離れられなくなってしまう不思議な街で例えば日本へ行く途中、経由地のドバイで関空行きフライトの搭乗手続きの列に並んだ時、ふいにブーゲンビリアの紫や塀一杯に咲いているゴールデンシャワーの黄色を思い出し“あ~もうナイロビに戻りたい”とせつなく思うことがある。これなんかまるで恋心である…

ナイロビで生活する上において魅力のある点を挙げるとまず第1番に気候の涼しさ、ケニヤの1年は日本でいう春夏秋冬ではなく乾季と雨季の二つに大別(寒季、暖季、大雨季、小雨季に小別される)されるが年間を通じ例え雨季であってもジメジメした感じはなくサラッとした空気が流れている。2番に空の青さと太陽の明るさ、3番にジャカランダやブーゲンビリアなど色とりどりの花が街を彩り全体的な雰囲気が明るく感じられる。4番は動物天国でもあるが鳥のパラダイスでもあること。小型の鳥で注射針のように嘴が細く長い太陽鳥は青い羽を光らせながら花の蜜を吸っているし、鳥好きな人は信じられないと思うけれどあの銀顔サイチョウがカップルで庭の樹の枝に止まってお互いあのデカイ嘴でカツンカツンやっている。本当、鳥というのは夫婦仲が良い、どうしたら仲がよくなれるのか教えて欲しいくらいだ…。5番目には贅沢を言わなければ食べるものにも困らない、服装も普段着で構わない、郊外で車を運転している時に思わず気持ち良い位にアクセルを踏んでストレスを発散させることもできる、周りに気を使う必要がない、殆どのケニヤ人は明るくて屈託がないなどの気楽さがある。嘘吐きや泥棒もたまにはいるがケニア人はすぐにばれるウソを言いその後はケラケラ笑って済ましてしまうので憎めないところがある…その上ケニアには山、海、湖、河、サバンナ、森林、砂漠があってどんなスポーツも出来ないことはないし国立公園・保護区など観光で動物を見られる所が40ヶ所もある。公園以外の場所でも普通に人々が暮している町や村でキリンやシマウマ、インパラ、ガゼルなど自然の動物がまるで放し飼いしているかのようにみられる。もう何番目になったかは判らなくなったがとにかく暮らしていく分には他の国にはない快適さがある。

ナイロビ空港から市内に向かう途中、道路の左側にナイロビ国立公園があるがキリンがゆっくりと首を前後にリズムをとりながら歩いているのが見える。その上観光コースに入っていない秘境が随所にあって冒険というか探検というか○秘好きの私なんかはいても立っても入られない気分になってしまう。そんな時には役所などでのあのイヤな思いが消えていってしまう。