治安

テロと観光その②

僕が子供の頃、と言っても中学・高校時代、《ケニア!》という名前から連想したのは猛獣、マサイ戦士、ジャングル、探検隊など。しかしそれらは映画や本の中だけの世界であって普段我々が生きている世界とは全く別の世界のことだと思っていた。しかしそういう別世界であっても実際にどこかにあるんじゃないか、もしかしたら行けるんじゃないか、行きたい、行ってみたいという願望が年々強くなっていきアフリカやターザンに関する映画があると親に内緒で観に行き、世界地図を壁に貼り、地球儀を回し、まだ見ぬ世界を想像し

一人静かに興奮していた。

 

今から30年以上も前になるが当時“サファリラリー”というケニア、タンザニア、ウガンダ3国にまたがる5,000キロのダートコースを5日間で走るラリーがあり、国民的行事にまでなっていて当時のケニヤッタ大統領がスタートの旗を振るのが習わしになっていた。出場車の3分の1が完走できればいいという酷暑下の過酷なラリーで、石原裕次郎主演の『栄光への5000キロ』という映画のロケが行われたこともあった。

1982年、ケニア空軍によるクーデター未遂事件があり、その後は貧困、病気、孤児などネガティブな面が表面に押し出され、援助関係のNGOなどが増えていった。

1998年、ナイロビ市の中心街にあったアメリカ大使館がテロリストにより爆破され、それ以降はケニアというとテロ、危険、恐怖のイメージが先行してしまっている。

 

しかしケニアは面積から言えば日本の1.6倍。5000m級の山々、大河、森林、サバンナ、砂漠、海などあらゆる自然が豊富でその中で各種スポーツも盛んに行われている。

ケニアというとサバンナの勇士マサイの戦士に代表されるが、42部族ある中で全体の約半数近くを占めるキクユ、カンバの人々は元々農業に携わっており、地球(土)と親しんでいるせいか性格は日本人に似て大人しく優しい人が多い。

ケニアは動物王国と言われ、野生動物は国立公園・国立保護区だけでなく人間が住む町や村の近くにもいて、幹線道路を走っているとキリンやシマウマが道を横切ることがある。そんな時には勿論人間の方が遠慮して車を止める。しかし時折象やバッファローが畑に入り込み、折角実った農産物を根こそぎ食べられてしまうこともある。そんな時は農家の人々にとっての野生動物は害獣となりそれなりに対処しなければならない。

上述のテロなどは全て他国人が起こしたもので、そういったテロリストを排除するのにケニア政府は断固とした方策を取り、取り締まりを強化している。ケニアはアフリカ大陸の玄関口ともいわれ諸外国から投資目的のビジネスマンが大挙して押しかけてきている。

ナイロビに居住している我々外国人もビジネス、ショッピング、ゴルフ、テニス、動物サファリなど普段と変わらぬ生活をしている。ケニアの経済(特に庶民生活のレベルに於いて)は依然としてインド人が握っているが。ここ数年は中国人の流入が激しく彼らのマナーには流石のインド人も眉をしかめている。僕なんかは早く中華街ができないかナ~と期待にお腹が膨らんでいる。

テロと観光

ケニアの首都ナイロビから西へ約4キロ、ウエストランドという副都心がある。

5星クラスのホテルや有名なレストランなど混雑した市内から移ってきている。

新しいオフィスビルやショッピングモールも次々にオープンし人々の生活の場として賑わいを見せている。そんな中で9月21日(土)イスラエル系の資本の入った近代的なショッピングモールの一つにテロリストが乱入し警察との銃撃戦などがあった。BBCやCNNが世界中にその映像を流しそれを観た人達は“又か!”と思ったに違いない。勿論僕も観たし僕の家族も友人も知人も観た。観て感じたのは“まるで戦争みたいだ!”ということだった。恐ろしいんだ、恐いんだ、とそれこそ朝から晩まで連日流され続けた。

日本からケニアに旅行の予定を立てていた人はそれを観てケニア旅行を中止したひともいたほどだ。大手旅行会社で主催するツアーは到着日のナイロビ泊を中止し、空港からそのまま国立公園に向かう日程に変更したりした。勿論何の問題もなく楽しいサファリをし、面白い経験を沢山抱いて日本に帰って頂いたがこのテロリスト達のせいで観光立国ケニアのイメージが少々傷ついてしまった。

ケニアに観光で来る人が少なくなったとはいえ野生動物はそんなことに惑わされずいつものように生きている。毎年7月~9月に世界の七不思議の一つと言われているヌー(うしかもしか)の大移動がある。7月にタンザニアのセレンゲッティー国立公園からケニアのマサイマラ国立保護区に移動し9月に入ると逆にケニアからタンザニアに戻る。

だがケニアとタンザニアの国境近くに進路を遮るマラ河がある。平均幅約50m深さ2m以上ある激流でそれを10万頭という大群が泳いで渡る。場所によっては水面までの落差が20m以上もある崖を駆け下り、泳ぎ、反対側の崖を駆け上がって行く。そして激流の中で待ち受けているのがワニだ。必死に泳いで渡るヌーを水の中に引きずり込むとアットいう間に数頭のワニが群がって来る。

こういったハイシーズンにはマサイマラ保護区に50棟以上あるロッジは殆ど全て満室になる。3年前から予約金を払っても部屋の確保ができないこともある。

マサイマラ保護区だけでなくナクル湖国立公園やアンボセリ国立公園などメジャーな公園のロッジも予約が難しくなる。ナイロビ市内には4~5星のホテルは約30軒あるがこれらも殆ど満杯になる。最近は観光客だけでなくビジネスや政府関連の会議などでケニアに来る人が多くなりホテルだけでなく日本食、中華、イタリアなどのレストランも予約ナシではいいテーブルが取れないときもある。

ナイロビ近景その⑥

英語にしろ日本語にしろ最近出版されている世界旅行案内関連の雑誌はナイロビの治安の悪さを必要以上に誇張しているものが多くなっている。これじゃ~読んだ人は恐がってケニアに来なくなるんじゃないかと日本で発行しているある旅行者向けの本の編集者にもう少し柔らかく書いて欲しいと言ったことがある。ところがその編集者が言うには例えばナイロビは高原性気候で爽やかな風が吹き、ブーゲンビリアやハイビスカスなど色とりどりの花が咲き、街からも近いナイロビ国立公園ではシマウマ、キリンなどの野生動物が沢山見られ人々も大変親切で楽しい所、と書くのは本当のことだからそれはそれでいいが、それと同時に町を歩く場合は片言の日本語で声を掛けてくる人には気をつけよう、置き引き・引ったくりに油断しないようになどともと書かないとならない。そういったトラブルが起きるかもしれないという注意書を書いていないともし事が起きた場合、その編集者又は発行元は不適切・不親切・怠慢という理由で訴えられるということだった。海外旅行をしようとするなら自分のことは自分で責任を取るというのは常識以前の問題で同じ旅行者仲間又は現地の人々に迷惑をかけないようにするのが当たり前だった。だが最近は自分の身に都合の悪いことが起きる又は損をする立場に陥るとやたらと他人のせいにしたり自分は被害者だと喚きまわったりする。そういう心配性の人は一人旅ではなくパッケージツアーに参加すると安心できるのでそちらをお勧めする。

大分前になるが世界の放浪人の間ではリオ、バンコック、ナイロビに足を踏み入れなければ世界を旅したとは言えないとまでいわれた時期があった。リオは情熱的、バンコックは情緒豊か、ナイロビは情熱と情緒を合わせ持った街でその不思議な魅力が旅人の間で噂となっていた。下町の安いホテルが集まった一角はナップザックを背負った旅行者で一杯になり市内のさる有名なコーヒーショップでは朝からお互いに情報交換をする旅人で賑わっていた。しかし1998年、アルカイーダによるアメリカ大使館爆破事件以来旅行者は激減し、下町のホテル街は全く様子が変わってしまった。以前は市内中心部にあるシティーマーケット前の通りには土産物屋が軒を並べ世界各国からの旅行者も多く集まりツーリストアベニューなどと呼ばれた時期もあったが今はネクタイを締めた若者が多く見られる。

バックパッカーなら誰でも一度は利用したことのあるナイロビの下町にあったイクバル(IQBAL)という有名なホテルはレストランになり、店内の電球を全て緑色にし夜8時過ぎると座るどころか立っていてもボーイが通る隙間もなくなるほど人で一杯になるグリーンバーもレストランに様変わりしてしまった。今なお旅行者用ホテルとして健在なのはリバーロードのニューケニアロッジだけになってしまっている。

強盗騒ぎ

ナイロビ郊外にちょっとした庭のある家を借りて数年経ったある金曜日の夕方、前日から明日の夕方はバーベキューにしようと言っていたのでそれ用の肉や炭を買い早めに家に帰った。時間があったので庭で皆で1時間程バドミントンで汗を流し頭も身体もリフレッシュしその夜は多いに盛り上がった。バドミントンと言っても羽根突きのようなポーンポーンというのではなく、

ビシッ!ビシッ!と鋭く決めていく激しい動きをするあれなので結構息切れもする。

翌土曜日の朝、二日酔いの頭を水道の蛇口の下に突っ込んでしばらくそのままにしていると何とか目が覚めてきた。その後、サ~ッ仕事に行くか~と心も身体も頭の中も爽快な気分で玄関を出ようとした時、ゲートで騒がしくクラクションを鳴らす車がいた。“誰だいこんな朝っぱらから…”と煩いとは思ったが別に不安には思わなかった。

シャンバボーイ(庭師兼ハウスボーイ兼門番)のピーターを呼んで誰だか見に行くようにいった。がピーターは何も言わずにゲートを開けたので誰か知ってる人でも来たのかな?と思った。エンジンを勢いよく噴かせて走りこんできたワンボックスカーの横にPOLICEと書いたステッカーを貼っていた。車のドア-を開けて5~6人の私服を着た警察官(と思った)が機関銃を構えながらドドドッと降りてきて家に中に入ってきて

「インベスティゲーション!」と何やら興奮して怒鳴り散らし始めた。

「ララチニ!ララチニ!(スワヒリ語で床に伏せろという意味)」

と言いながら白目が真っ赤に充血した目を向け機関銃の先で胸をこずいてきた。

こずかれながら(こちとらだって大和魂だい!黙って言われた通りに言うことをきけるかい!)「ナ、何の用だ!」

と精一杯震える声で威厳を保とうとしたが

「インベスティゲーションだ、黙って床に伏せていろ!」と3年以上歯を磨いていないんじゃないかと思われるようなひどい臭いと夕べ飲んだと思われる安い地酒の醗酵した臭いがモロに吹きつけてきたので思わず顔を背けながら(こりゃ~逆らったら何をされるか判らんナ)と言われた通りにした。3人位(だと思ったが)が応接間からベッドルームに入っていってまだ夢の世界を漂っていただろう皆なをたたき起こし無理やり応接間に連れてきた。皆な寝ぼけ眼なこのまま(一体何が起きたんだろう)とちらちらと不安な目付きで床に伏せている僕を見た。ただこの後に及んでもまだポケ-ッとした顔つきで、目がウロウロと不安が一杯の福島から来た川渡のとっつあんが、

「エ、エンさんど~したの?」と言った途端

「フンガムドモ、ララチニ!(何も喋るな、伏せろ!)」と背中をどやされ機関銃の先で床を差して背中を押され僕同様床に伏せさせられた。

「顔を上げるな!そのまま伏せていれば何もしない!」

と言われハッと気がついて恐る恐る手を上げ

「エ-ッ、済みませんが皆に通訳していいいですか…?全員英語もスワヒリ語も判らないので…」

「ァ~ヤ、サワサワ…(いいだろうしてやれ…)」

…で皆に

「何も抵抗さえしなければ危害を加えないから皆そのままジットして…何か知らないけど家の中を調べるそうだけど…」…と全員ハッと身体が固くなるのが判った…   

「…、…、…、」

・………

…で1人だけが見張りとして残りの連中は奥の僕の部屋へ入ってガタガタやっている様子だった。(アッ、ヤバイな~昨日日本から送ってもらったばっかりの明日支払う予定の200万円を見られたら困っちゃうナ~…)とうつ伏せになりながら気が気じゃなかった。もしかしたらこの金も盗られ自分だけじゃなく皆の金も見つけられトンデモナイ言い掛りをつけられるんじゃないかと覚悟した。

ところが5分程(だったと思う)し、我々がいる応接間に戻ってきて皆の腕から腕時計を外したり、ポケットを探ったり、現金を盗ったり、ラジカセを持って行こうとしたりしているので

「アッ!何だこいつらは泥棒じゃないか!」

と始めて気が付いた!

「頭を上げるな!」

と足で頭を蹴られ

「何だこの野郎、人の頭を土足で蹴っ飛ばすとは泥棒のくせに許せない奴だ!」

とは思っても何しろ相手は機関銃を持っているので文句も言えずただひたすら撃たれないように…“神様~!”…と祈るしかなかった…

「いいか、しばらくそのままにしてろ、動くんじゃないぞ!」

と言いながらドヤドヤドヤッと出ていった…

まだ誰か残って様子を見てるんじゃないか、又頭を蹴っ飛ばされるんじゃないか、としばらくそのままにしていたが車がブワー!ッと精一杯エンジンを吹かして走り去っていったのてやっと起き上がった。

「オイ、皆な大丈夫か何か盗られたかチェックしてみよう!

と自分の部屋の現金200万円が心配なくせに見に行くのが恐い気持ちと一家の責任者として動揺する心を皆に悟られたくなくて何気ない振りをして皆の心配をする振りをしていた。

…で結局全員のルックサックを開けられドルの現金とケニヤシリングの現金は全部盗られていたがトラベラーズチェックだけは残されていた。闇替えでも率が悪いし下手すると足がつくので敬遠したのだと思う。

「こっちはトラベラーズチェックはOKだったからよかったけど、エンさんの部屋はどうなの?」

「ウ、ウン今チェックしてみる…」

果たしてどうなったのか、もう盗られてしまってるだろうな~…明日の空港でのカメラ機材の税金の支払いはどうしよう~…と心臓がドキドキし顔からサ-ッと血が引いてるのが感じられた。

それでも何とか部屋に入っていった…

戸棚はひっくり返され、引き出しも投げ出され、ベッドの上に書類関係が散らばり、洋服タンスの中にあったシャツ類なども全部引き千切られたように床に捨てられてあった。

ひっくり返された戸棚の裏蓋が捲られて中に仕舞ってあった書類なども滅茶滅茶になっていた。

「ァ~ァ、もう金も盗られてどうしよう…」

諦めきった心境と震える手で山盛りになった書類を持ち上げていたら

「ア~!あった~!!!」書類の一番下に輪ゴムで止めた札束6つがそのままあるではないか!!!信じられないのと嬉しいのと“あ~助かった~…”と一挙に胸の奥が暖かくなってきた。

お金は棚の一番前に置き、戸を閉めて鍵を掛けていたので強盗共は鍵を開けるよりひっくり返して裏の柔らかいベニヤを破った方が手っ取り早いと思ったんだろうが戸棚を引っくり返したお蔭で現金は戸棚の奥においておいた書類の一番下になってしまい慌てていた強盗連中は書類だけだと勘違いして書類の下まで探さずに諦めてしまったものと思う。

イヤ~…ヨカッタヨカッタ…200万円が無事で何か宝くじに当ったような気分だった…

 

その後すぐ近くのポリスステーションへ行き事情を説明したら

「そいつらはまだ居るのか?」と聞く

「もういないよ行っちゃったよ、だからこうしてここに来られたんじゃないか」

「じゃ今一緒に行くからちょっと待て」

それから15分後、さっきの受けつけにいたオフィサーとは違う私服のポリス2人が

「トエンデ(行こう)」と言う

家に戻ってさっき起きたことを説明し友達の金がT/C以外はみな盗られたことを言う。

「お前は何を盗られた」と聞くので

「ラジカセ2台と小型ラジオ1台とケニヤシリング一万シリング」と言う

200万円分のお金は無事だったしポリスといえどそんな大金を見せたら何を言われるか判らないので何も言わないことにした。

ピーターも呼ばれ何故ゲートを開けたのか、顔に見覚えあるか、車のナンバーを覚えているかなど聞いていたようだった。

それに対してピーターは車の横にPOLICEのステッカーを貼っていたしインベスティゲーションだと言われたから開けたし顔も見たこともなくナンバーも覚えていないということを言っていた。

大体の事情を聴取してポリスはもう帰るというので、一体これからどうなるんだ、盗られた物は取り返せるのかと聞いたらもう現金は無理だし、ラジカセもダウンタウンに行けば売っているかるかも知れないと言う…じゃその強盗を見つけて弁償してもらいたいと言ったら

「彼らはもうどこかへ逃げて隠れてしまったからもう無理だよアッハッハ…」

「だってそれを見つけるのがあんたたち警察の仕事じゃないか!」

「ァ~ヤもしみつかったら知らせるよ…」

やる気のないのが見え見え…もうこれじゃやられ損だ…

 

今まで旅行者がスリに遭ったとか引ったくりにやられたとかは身近にも聞いていたけど自分が強盗に襲われるなんていうのは全く考えもしなかった。しかしどうして昨日銀行から下したばっかりの金がある時に来たんだろう…?何かタイミングがよ過ぎるんじゃないか…?今までこんなことは一度もなかったのに…?銀行から後をつけられたんだろうか…?誰かがたれ込んだとしか思われない…そう言えば昨日銀行から戻った時にカバンを大事そうに抱えて家の中に入ってきたがその時ピーターが掃除をしていたっけ…イヤ、ピーターを疑うのはよくないナ…しかしそれにしても日本人が強盗の仲間な訳ないしやっぱりピーターか…?ゲートをすぐに開けたのもオカシイし…その日の夜になっても中々眠れず何故だろう?どうして?を考えていたがどうしてもピーターが一番怪しいことに考えがいった…。

翌日朝起きてすぐにピーターを呼び

「昨日の強盗はお前がインフォームしたのかもしれないし違うかもしれない、何しろ何の証拠もない。しかしもしオレがポリスにお前のことを言ったら棒で引っ叩かれ、鞭で叩かれ、臭くて汚いマラリア蚊がブンブン飛んでる牢屋にぶち込まれ、白状するまで1週間でも1ヶ月でも入ってなきゃならないぞ…それがイヤだったら今すぐにここから出て行った方がイイ!」と言ったら

「イエス…」と言い、それから5分後に風呂敷包み1つを抱え出ていってしまった…やっぱりそうだった…